続・竹林の愚人 神社の起源と古代朝鮮

神社の起源と古代朝鮮

神社の起源と古代朝鮮 岡谷 公二『神社の起源と古代朝鮮』 (平凡社新書) (2013/11/19)


白鬚神社は、全国に広く分布している同名の社の本社である。
社伝によると、垂仁天皇25年の創祀と伝え、琵琶湖周辺最古の神社という。しかも式内社ではない。
この事実は、いくつかの興味深い問題を提起する。
一つは、渡来人の祀る神社が、他の神社と同じくらい、或いはそれ以上に古い歴史を持っているのではないか、ということであり、また、たとえ古社であろうが、渡来人の祀る神社は、或る時期、或いは或る時期まで、官社とは認められなかったのではないか、ということである。
白鬚神社が新羅系渡来人の奉祀した神社だとは、ほぼ定説になっている。
その名の初見は応永2年(1395)だという(『日本の神々』)。
それ以前は比良神、比良明神と言われた由で、『三代実録』の貞観7年(865)に「近江国の無位の比良神に従四位下を授く」とあるのは白鬚神社のこととされている。なおこの記録は、この神社の国史における初見である。
ヒラはシラ、シラは新羅の最初の国号である斯盧であり、新羅であり、白である。
比良明神が白鬚の老人の姿をして化現したという伝承がいくつかあり、その辺から白鬚神社という名かついたのかもしれない。
このあたりは、古代の豪族三尾氏の地盤であり、三尾氏は白鬚神社の奉祀者であった。
そして渡来系、とりわけ新羅系の氏族ではないかと考えられている。
近くにある水尾神社の祭神は、現在、白鬚神社と同様、猿田彦命である。

明神山と呼ばれる裏山に途中まで上ってみた。
古墳は複数あるらしく、白鬚神社古墳群と呼ばれているが、詳細はよく分からない。

『日本書紀』によると、継体天皇の父彦主人王は「近江国の高島郡の三尾の別業」にいた時、「顔容妹妙(きらぎら)しくて、甚だ媺(うるはしき)色有りといふ」噂を聞き、越前三国の高向から振媛という女性を迎え、妃とし、天皇をもうけたのだという。
彦主人王が「三尾の別業」にいたのは、三尾氏とのかかわりからであると考えられる。
三尾氏が新羅系渡来人の氏族ではないかと推測させる手がかりの一つに、水尾神社の近くにある鴨稲荷山古墳がある。
6世紀前半の築造で、周濠を有する前方後円墳であり、全長60m以上という規模の大きさといい、副葬品の豊富さと豪奪さといい、近江を代表する古墳の一つだ。
金銅製冠、金銅製環頭太刀、金製耳飾り、金銅製馬具類など、副葬品の多くは朝鮮半島系、とくに新羅系で、金銅製冠は 「かの慶尚南道慶州金冠塚の華麗なものと系統を同じくするもの」(『滋賀県史』)である。
被葬者は彦主人王と考えられたが、現在では三尾氏の首長であろう、というのが大方の意見である。
弥生時代、朝鮮半島から多くの人々が日本列島に渡ってきたわけだが、その多くは地理上最も近い半島南東部彼らがもともと鉄とかかわる人たちだったとするなら、「国、鉄を出す。韓、濊、倭皆従ってこれを取る、諸市に買うに皆鉄を用う。中国の銭を用うるが如し。又もって二郡(=楽浪・帯方)に供給す」と『魏志』の東夷伝弁辰の条に記された地域、のちに新羅に併合される金官伽郡に属する洛東江流域一帯を出自とする人たちだったかもしれない。
このように三尾氏が渡来系氏族だったとすれば、同じ三国の出身で、三尾氏と深いかかわりを持っていた継体天皇も、もしかすると渡来人だったのではあるまいか?
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