続・竹林の愚人 Lecture
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日米の怪談と幻想小説


10月13日(水) 14~15:30  大阪府立中之島図書館 文芸ホール

昨年アメリカで出版された『American Fantastic Tales Boxed Set』にラフカディオ・カーンの『雪女』が収録されています。
幻想小説の作家として、Lafcadio Hean・Edgar Allen Poe・H.P.Lovercraft・夢野久作・小泉八雲・江戸川乱歩といった日米の作家が思い浮かびます。
人類が最も古く、最も強く感じるのが恐怖心です。
久作はFantastic Talesは「科学文化の外観を掻き破って、そのドン底に恐れ藻掻いている昆虫のような人間性を絶大の恐怖に暴露して行く。その痛快味、深刻味、悽惨味を心ゆくまで玩味させる読物ではないか」と云っています。
皆さんも来るハロウィンにはFantastic Talesを読んで楽しんでください。

マイケル・ハフさんの『雪女』の朗読がありました。



おみやげにアメリカンセンターのクリアファイルとオバマ大統領の就任演説等の演説集を頂戴しました。

講演後、参加者から「今のアメリカンセンターはガードが固くて近寄りがたい。昔のCIE図書館の頃が懐かしい」との声がありました。
私的にはその後のアメリカ文化センター(ACC)で最新の雑誌やLPを聞くのが楽しみでした。
米兵が使った中古のジーンズを元町の高架下で見つけて喜んでいた頃です。
ACCが文化のCを取り下げてACと改名したのは、ベトナム戦争の終焉を迎える頃。
その頃にはACCに行かなくても、街にはアメリカン・カルチャーで溢れていました。

現在、ACは京都がなくなり、東京・札幌・名古屋・大阪・福岡の5箇所。
関西ACは領事館内にあるため、入館には事前の申し込みが必要です。


駐大阪・神戸アメリカ総領事館 大阪市北区西天満2-11-5


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  1. 2010/10/14(木) 07:00:26|
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久留米藩蔵屋敷から江戸の町


神宗社長 尾嵜彰廣「久留米藩蔵屋敷から江戸の町」
緒方洪庵生誕200年記念 IN 神宗
午後3時~4時
もともと大坂に蔵屋敷があったから適塾が出来、福沢諭吉も居たことから、今日は蔵屋敷の話をします。
当家の『久留米藩大阪蔵屋敷絵図』は宮本又次先生の勧めで、現在、大阪歴史博物館に寄託しています。
この絵図を元に蔵屋敷の一年を紹介します。


神宗の包装紙にも使っている「蛸の松」は『浪速八景』に出もてきます。
戦国武将で広島藩の福島正則が自分の屋敷の前に植え、その後、浅野家が広島藩に移り、大事に守っておりました。
明治6年頃に枯れ、蔵屋敷跡に大阪師範学校ができた当時の校長が蛸の松が枯れたのを惜しみ、根っ子を保管。
今も大阪教育大学附属天王寺小学校に保存されています。
近年、再開発で跡地にが立っています。


正月の早朝、打ち水をして蔵屋敷を清めています。


天神祭の船渡御には大篝火が蛸の松辺りに出ています。船渡御が下ると蔵屋敷が篝火でお迎えしています。


久留米藩の蔵屋敷内にある水天宮は水除け安産祈願で知られ、町人も参拝に入れました。
明治天皇の安産祈願もここで行われたといいます。


久留米から殿様は大名行列をしないで、瀬戸内海を上ってきます。ここから陸路江戸へ向かう。
まさに御座船が着くところで、蔵屋敷は屋敷でもあって、今晩はここにお泊まりです。


堂島の米市は、全国で唯一コメを換金するところです。
幕府は天領・大坂を使って換金するシステムを考え、知行米を米市で幕府の公金に換え、大坂城の御金蔵に貯えました。
御金蔵は盗難には一度もあっていませんが、役人の横領はあったようです。
明治初年まで堂島の旗振り信号があり、手旗信号で相場を山の上に立つ櫓で通信されました。


どの蔵屋敷も掘りを造り、川口の大型廻船からコメを積み替えた上荷船が屋敷内に入るようにしています。
なにわの海の時空館に模型が展示されています。


仲士が荷上げしていますが、採色した荷上げの図はこの絵しかありません。


路端で市振り、その日の値段を決めています。


全てを検品できないので、矢を当てたものだけを検品します。指札といいます。


落ちたコメは仲士たちの小遣いになり、阿波おこしの材料になったと聞いています。


検査が終わった蔵に仲士や蔵の関係者、その子供までが入り、棒を指してコメを抜くことは黙認されていました。
あまりに抜かれる量が多いので、棒のサイズを小さくさせられました。


蛸の松に注連縄を架けて、新年を迎えます。
蛸の松を管理するのに10石かかります。3石で1両ですから年3両ほどかかります。

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  1. 2010/10/12(火) 07:10:08|
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神宗秘蔵 一人遣い文楽人形


文楽人形遣い 吉田玉勢 「神宗秘蔵の一人遣いの文楽人形の紹介」
緒方洪庵生誕200年記念 IN 神宗
10月10日 午後2時

江戸初期に義太夫と三味線が語る浄瑠璃と人形が一つになって人形浄瑠璃ができました。
淡路から植村文楽軒が大坂に来て日本橋の今の文楽劇場の近くに初めて小屋を建てました。
明治5年松島に文楽座を建て、彦六座が難波神社に建ったため、対抗に御霊神社に移転して、技芸を競い合って人気を博し、黄金時代を迎えます。
やがて彦六座が廃業して文楽座だけが残ると、文楽が人形浄瑠璃の代名詞となりました。

今は3人で1つの人形を操っている3人遣いですが、初めは1つの人形を1人で遣っていました。
その人形を神宗の社長さんが再現してくれましたので、ご覧いただきましょう。

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  1. 2010/10/12(火) 07:05:36|
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名塩和紙の魅力を語る


名塩和紙 人間国宝 谷野武彦 「名塩和紙の魅力を語る」
緒方洪庵生誕200年記念 IN 神宗
10月10日 午後1時

名塩(なじお)の歴史は400年前、江戸時代には藩札に使われ、大坂から九州くらいまで広く使われていました。
全国で紙漉きをしている所は300ほどあり、ほとんどが流し漉きですが、私どもは中国・朝鮮から伝わった溜め漉きを今も行っています。
名塩紙は泥で染めてあり、色が変わらない・虫がつかない・燃えにくい・ネズミが齧らない特色があり、昔から神社仏閣で使われています。
名塩で一番薄い茶褐色の紙は金沢では金箔打ちに使われ、この金箔打ちに使われた後は脂取り紙に使われます。
謄写版の原紙はガンビで出来た手漉きの和紙に蠟引きしたものです。
昔は外国にも輸出される程の人気があって、昔から六甲山系統のガンビが質が高いと言われ、名塩で採れるガンビは美濃や四国に多く行っていました。
名塩の紙は紙継をしても継ぎ目が目立たないことから、襖や壁紙に沼津の御用邸にも使われ、どの間に貼っても合うから「間に合い紙」と呼ばれています。
発色が良いと梅原龍三郎も愛用され、シミも出ないので過去帳にも使われています。
先日、京都博物館で長谷川等伯展を見に行きましたが、あの屏風もみな名塩紙です。
尾形光琳の屏風も名塩紙で、香住の応挙寺(大乗寺)や二条城も名塩紙です。
青・白・黄・茶褐色の岩石を細かい粒子に砕き、山水で溶かした泥で染めると、青色・白色・黄色・茶褐色の和紙が出来ます。
それに白い泥と黄色い泥を混ぜると白茶となり、5色の紙ができます。
他に白い泥に奈良の墨のススを混ぜるとネズミ色となります。


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  1. 2010/10/12(火) 07:00:13|
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映画「適塾」


映画「適塾」(35分の作品)
第二回船場まつり参加「緒方洪庵生誕200年記念 IN 神宗」協賛 
10月9日(土)・10日(日) 緒方ビル地下1階
映画”中之島”製作グループ 1980年撮影
出演  与力:藤本義一  町人:宮本又次 洪庵:藤野恒三郎


財団法人 洪庵記念会 川上 潤事務局長 講演「緒方洪庵と天然痘の闘い」

天然痘は今から3000年前のエジプトのラムシス5世もこの病気で亡くなっています。
古くからあり、死亡率が30%と、非常に強い感染力です。
ウシの病気である牛痘に罹ると天然痘に罹患しないことが牧牛家には経験として知られていました。
その事に注目したエドワード・ジェンナー は牛痘の膿を子どもに接種して、抗体ができたことで天然痘に罹患しないことを確認しました。
牝牛をラテン語で「vacca]と言い、セアラという娘さんに牛痘病をうつした牝牛の名前が「ブラッサムちゃん」です。
人類を天然痘の惨禍から救うきっかけとなったこの牝牛ブラッサムちゃんに敬意を表して、vacca(牝牛)から作ったジェンナーの造語が「vacctine」です。

牛痘のワクチンが日本に伝わるまでそれから50年もかかっています。
初めに長崎に伝わってから4か月後には大坂に伝わります。
洪庵は頂いた牛痘のワクチンを絶やさない、金儲けにしないという誓いを立て、除痘館を開きました。

1798年に牛痘種痘を発明した時、ジェンナー は、やがて地球上から天然痘という病気は無くなるだろうと予想しました。
それが現実になったのが1980年。WHOは根絶宣言を行いました。
ある一つの病気が社会活動で消滅したのはこの天然痘だけです。

洪庵は将軍の奥医者として江戸に向かう際に、
「年ごとに生いそふ野辺の小松原  千代に茂れとうゑもかさねん」
毎年、生まれてくる子供たちがすくすく育っていくように、この大阪の地で牛痘種痘を続けていこうというと、賛に残しています。
「痘痕も笑窪」という言葉がありますが、あばたというのは天然痘が治っても顔にでこぼこが残る傷跡のことです。
この言葉を見る時、洪庵の努力で天然痘が無くなったことを思い出してくれれば幸いです。



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  1. 2010/10/11(月) 07:05:44|
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はやぶさトークショー



はやぶさトークショー 「はやぶさを支えた人たち」 9月18日(土)14:00~16:00
阿倍野区民サンター 地下小ホール
司会:尾久土 正己(和歌山大学)講師:小笠原雅弘(NEC)・矢野創(JAXA)・飯山青海(大阪市立科学館

小笠原「一番最初にプロジェクトマネージャー川口淳一郎教授からターゲットマーカーを良く見えるもの、跳ねないものを作ってくださいと、仕様書もなしにそれだけ言われたので、困りました。
最初はお手玉のような柔らかいものにしたところ、真空で実験すると、お手玉の布自体が真空で反発することが分かりました。驚きですね。
結局アルミの球体の中にたくさんの粒を入れることで解決しましたが。」

矢野「タ-ゲット・マ-カ-は探査終了後も小惑星表面に残されるので、世界中から募ってマーカーに名前を記そうという「星の王子様に会いに行きませんか」ミリオン・キャンペ-ンを行なったところ、140カ国から88万人集まりました。
イトカワには引力がなく、地球での常識が通じないので、全員が素人であり最先端を歩んでいたのです。」


飯山「2009年にHAYABUSA -BACK TO THE EARTHを製作しました。リアルなCGで「はやぶさ」とともに宇宙旅行をしているような感じです。是非、ドームで見てください。
6月13日はオーストラリアに行って、はやぶさの帰還のビデオ撮影を担当し、ファインダーで追いかけるのに必死でした。」


尾久土「和歌山大学は生中継を実施したので、この中で肉眼で見たのは私だけですね。月くらいの明るいものが突然現れ、非常に眩しいものでした。」

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  1. 2010/09/19(日) 07:10:08|
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いくつになっても生涯現役!



杉原輝雄 「いくつになっても生涯現役!」 
茨木シニアカレッジ オープン講座 茨木市福祉文化会館 11月8日(日)10:00~12:00
ビデオ上映「人生の切符
1998年に前立腺がんが発覚。しかし「切れば試合に出られなくなる」と、手術を拒否して加圧式トレーニングを始める。月3回東京の専門家に指導を仰ぎ、当初70才と見えた肉体も今では30代と専門家も驚く。2006年の「つるやオープン」で68才10ヵ月にして予選を通過するという世界最年長記録を打ち立てる。杉原プロはがんと闘いながらチャレンジし続けている・・・。


今日は入りが悪いといけないから同級生にたくさん来て貰いました。(笑)
中学出てプロを目指した頃は自分のクラブを買う金もなく、お客さんに借りて回っていました。
今日あるのは応援してくれたお客さんや周りの皆さんのおかげです。
最近は負けてばかりいる試合に同級生が交替で応援に来てくれます。
優勝した頃に見に来てくれたらよかったのに。(笑)ありがたいことです。
先程、山口誠君に花束を頂きました。そんな金あるんやったら活動に使えと云ったんやが。
彼は将来を嘱望されたプロゴルファーでしたが、24才で交通事故にあって以来車椅子生活です。
交通事故にあった者が電動車椅子でビュンビュン走っている。(笑)
山口君は自分が大変な身なのにボランティア活動に励んでいます。
彼のことを考えたら健康というのは本当にありがたいですね。
ガンの方はリンパ腺にも転移したけどおとなしくしているようです。

杉原

いつも見かける万国戦争受難者慰霊塔の階段を駆け上る背の低いおっちゃんが杉原プロでした。

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  1. 2009/11/09(月) 07:58:30|
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茨木市クラシックギターフェスティバル

kirameki.jpg
茨木市制施行60周年記念・生涯学習都市宣言制定10周年記念
13日から本日15日まで開催されました。

ensou.jpg
ホール前ではクラシックギターの演奏がされていました。

matumura.jpg
市内に在住の松村雅亘氏の講演を拝聴。フランスのロベール・ブーシェ(1898~1986)に師事したギター制作者。母子家庭で中学を出て工員となった時、職場の先輩の演奏するギターに憧れる。必死で練習をするも、演奏家としての将来はないと、22歳の時、東京のギター制作家河野賢の門を叩いた。作家として独立後、縁あってロベール・ブーシェの元へ。持参のギターを手にすると「あなたが全部わかった」「もっとエレガントな音がつくれます」技術だけではギターは作れない。昼は語学学校に通い、夜はブーシェの工房通いが始まる。妻子を残してのパリ留学は必死だ。音作りの精神を得るため、直接はギター作りと関係のない多彩なモノを見聞する。受けた感動をギターに表現する度にギターの音がどんどん変わっていく。師との交流のさまは圧巻でした。

tenji.jpg
プロ・アマのギター制作者の作品展示がありました。韓国の作家も多く参加されています。

seisaku.jpg
ギター製作の工程展示と作家による解説があり、韓国と日本の作家が制作法を巡り、語り合っていました。

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  1. 2008/06/15(日) 18:00:29|
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